BLOG

NPO法人タッチケア支援センター > 活動報告 > 第四回能登半島被災地タッチケア活動(8.30~31志賀町 納涼癒しカフェータッチケアと詩吟の会ー)

2025年09月23日

活動報告

第四回能登半島被災地タッチケア活動(8.30~31志賀町 納涼癒しカフェータッチケアと詩吟の会ー)

2025年8月30(土)、31日(日)と能登半島の羽咋郡志賀町の仮設住宅3か所で、こころにやさしいタッチケア・ボランティア・チームの活動を行いました。能登半島では今年になり4回目となります。仮設住宅集会場の空間を、アロマの香り、ヒーリング音楽をBGMに奏で、お茶お菓子のカフェコーナーも準備しての癒し空間にセッティングして皆様をお迎えしました。

今回は災害学・災害社会支援者研修センターとのコラボレーションでもあり、4名の方が活動にご参加。金沢から車を出してくださったり、受付やカフェコーナーをご担当くださったり、タッチケアの施術の後は、”詩吟”の体験ワークショップも開催してくださいました。さらに、金沢の(株)サンレー様からご協賛をいただき、飲み物や印刷物、その他のご協力をいただけたこと、心より感謝申し上げます。


(チラシは株式会社サンレーさんが印刷にご協力くださり、志賀町社協さんが事前に住民の皆様にポスティングくださいました。おかげ様で大勢の方に来ていただきました。(株)サンレーさんが、ポスターを拡大コピーしてくださり、入口に大きなポスターを掲示してくださったというサプライズもありました)

志賀町での活動場所は
8月30日(土)
とぎ第二団地 集会場(10時~12時30分)
とぎ第四団地 富来防災センター(14時30分~17時)
8月31日(月)
しか第一団地 集会場(10時~12時30分)

今回のチームは8人。NPO法人タッチケア支援センターのタッチケア施術者は、宮前敬子、上田晴子、山根紀代美、中川れい子の4名で、災害学からは鳥飼美和子さん、大谷寛博さん、肥塚真由美さん、萩原正大さんがご協力くださり、大谷さんの故郷の羽咋郡志賀町にご縁をいただいて活動することとなりました。地元の方にお声かけくださったので、おかげ様で集会場には大勢の方が来てくださいました。また、3歳から詩吟を学び続けておられた24歳の萩原さんが、詩吟体験ワークショップも開催してくださいました。

前回の穴水に続き、災害学からは東京から鳥飼美和子さんと、関西から肥塚真由美さんが受付やカフェ・コーナーを担当してくださり、とてもスムーズな流れとなりました。車の運転は、大谷さんと肥塚さんが自家用車を出してくださり、本当に助かりました。心より感謝です。

(左から肥塚真由美さん、鳥飼美和子さん、萩原正大さん、山根紀代美さん(後列青)、宮前敬子さん(後列緑)、大谷賢博さん、中川れい子(前列赤)上田晴子さん(前列青))

志賀町は震源地に近く、震度7の揺れで大きな被害を受けた地域の一つです。幸い亡くなられた方はおられなかったものの、倒壊家屋の数が多く、ピーク時には自主避難を含めると1万人近くの方が避難されて現在も10か所の仮設住宅で被災された住民の方々が暮らされています。

羽咋郡志賀町まで、金沢から1時間半ほど。海岸線がとても美しかったです。今回は車2台で金沢を出発。萩原さんの詩吟でも歌われる古代の万葉歌人、大友家持の碑文や、志賀町に入る手前にある能登一之宮、気多大社さんへみんなで参拝。戦前戦後と活躍した民俗学者であり歌人の折口信夫のお墓と歌碑にもお詣りしました。

8月30日の朝、仮設住宅集会場に到着しましたら、まずは会場をレイアウトとセッティング


(写真左はセッティング前の仮設住宅の集会場。右は長机と椅子を並べて、テーブルクロスを使って、明るい雰囲気に)


(セッティングの準備をして、住民の皆様が訪れてくださるのをお待ちしています。左は30日午後のとぎ第四団地。防災センターとして、地震直後は大勢の方が避難されていた避難所でもあり、とても広い空間でした)

お菓子は、参加者が各自、関西や東京の地元のお菓子を持参してお皿に並べましたが、大好評でした。
また、お飲み物は、今回、株式会社サンレーさんが、冷たいお茶を提供くださいました。
残暑厳しい季節ですので、アロマの香りの冷たいお絞りも準備しました。
お部屋には、ヒーリング音楽と、アロマの精油のディフューザーも大活躍。天然成分のやさしい香りが空間に広がりました。

 

お茶お菓子で語らっていただいたり、タッチケアコーナーでは、一対一でのタッチケアとお話の傾聴の時間

施術は、軽くご挨拶とお身体の状態を伺ったあと、肩・背中のタッチケアからはじまります。
呼吸とともに触れる、やわらかなタッチで安心感伝え、少しずつ肩・背中をほぐしながら、安心感と心地よさ、リラクセーションを伝えていきます。皮膚への穏やかな刺激は、自律神経系のバランスを回復へと導いていきます。

その後、対面でのハンドトリートメント。
オイルの感触が手指をやわらかくほぐすことで心もほぐれ、ごく自然と、お話がはずむことも。

昨年1月1日元旦の地震のこと、避難所生活、倒壊した家屋の後片付け、仮設での暮らし、公費解体のあと更地となった我が家・・・。
いまなお整理しきれない内側に蠢く様々な思いを呟いてくださりながら、私達はあるがままを尊重し、呟きを傾聴していきました。
なかなか、日頃のコミュニティ内ではお互いで語り切れないことも、外から訪れた私達には気楽に語ってくださることも。
タッチケアと傾聴は、被災地での活動では特に大切だとあらためて実感しました。

施術をご体験くださった皆様からは「心も身体もすっきりしました」「とても気持ち良かったです」「やわらかく施術していただき良かったです」等、ご感想をいただきました。

まだまだ仮設住宅での生活は続きますし、恒久住宅の目途がたたない方も大勢おられます。
積み重なるストレスから、持病が悪化された方も少なくはありませんでした。

それでも、仮設の住民の皆さんで声を出し合って、ささえあい、集会場で何かイベントがあれば、なるべく参加するようにしているとおっしゃる方も多かったです。

タッチケアで一対一でふれあい、語り合ったあとは、カフェコーナーで住民の皆さん同士での談笑の時間。

後半は、いよいよ、詩吟の体験ワークショップ。
吟者の萩原正大さんは、24歳の東京生まれ。3歳から詩吟を始められた吟界の若きホープです。小さい頃から修練された歌声は、しっかりと集会場に響き、清涼感が広がりました。2000年生まれの萩原さんにとって人生で初めての仮設住宅での活動。今後も、大きな地震が各地であるかもしれませんので、こうやって若い世代の方とご一緒に、被災地で活動することは、とても意義深いことだと思いました。

後半の40分の詩吟体験ワークショップでは、腹式呼吸や発声練習、みんなで詩吟を歌うことも取り入れてくださり、声を出すことで皆さんが活き活きとされていくのが伝わってきました。

「初めて聴きましたが、声が美しく、とてもわかりやすかったです」「声の出し方を教えてくださって良かったです」「腹式呼吸は眠れないときにもいいですね」等の、ご感想をいただきました。

詩吟の歌の内容も、能登や北陸に関係する故事をもとに組んでくださり、郷里の歴史に自然と興味が深まります。中には、私達がお墓詣りをした折口信夫が校歌を作詞したという、羽咋高校のご出身の方もおられて、帰宅してすぐにその歌詞を持参して私達に見せてくださるという嬉しい展開も。志賀町の盆踊り等で歌われる、「志賀音頭」も私達に教えてくださったり。普段、タッチケアだけでは、こういう話題には広がらないので、歌や文化・芸能のもつ力は奥深いものだとあらためて思いました。

(折口信夫が作詞した、羽咋高校の校歌(左)と、志賀音頭の歌詞(右)

能登、志賀町の海はとても美しく、夏の間は穏やかな凪が続きます。
富来町にある福浦港は、かつて日本海の海の向こう側と交易しあった海に開かれた遠洋航海の地だったといいます。

 

 

初日にお参りした能登一之宮の気多大社では、海の正倉院展が。気が多いと書くだけあり、背後に広がるご禁足地の御神苑からは、大きなエネルギーが広がりました。その気多大社の向かい側の海の波音響き陽のあたる地に、折口信夫親子のお墓があります(気多大社境内には歌碑も)

 

(能登一之宮、気多神社(左)と、折口信夫父子の墓碑(右))

息子(養子)である折口春洋が硫黄島の戦いで戦死。墓碑銘には

もっとも苦しきたたかひに
最くるしみ死にたる
むかしの陸軍中将
折口春洋 ならびにその父
信夫 の墓

と刻まれています。

戦争という悲惨な状況で大切な人を失う途方もない悲しみが、波音の中で今も響きます。
あらためて、戦争の残酷な歴史を思いながら、平和を大切に守っていきたいと誓いました。

民俗学者の折口信夫は、「客人(まれびと)」という思想を伝えています。″まれびと”とは、日常ではない外部からの来訪者のこと。常世の国からの使者として、村人から大切に歓待を受けた風習が日本各地に残るそうです。。

私達は、常世から来た神様ではありませんが、日常ではない外部から訪れることで、煮詰まった日常をふっと緩めていただけるような、そんな被災地ケアを、これからも提供できればと願います。

羽咋郡志賀町には、次回は11月1~3日に訪問する予定です(輪島にも訪れます)
皆さんとの再会を、心より楽しみにしております。

最後になりましたが、今回、活動にご協力くださいました皆様には心より御礼申し上げます。

引き続き、能登半島の仮設住宅では、継続的に活動を続けてまいりますので、ご支援・ご声援、よろしくお願い申し上げます。

 

 

 

 

報告 中川れい子(NPO法人タッチケア支援センター代表理事)