2022年11月28日
なぜ「癒し学」なのか?後編「医は癒し?」
【なぜ”癒し学”なのか?➁後編 ”医(い)”と”癒し(いやし)”】
「触れるケアの癒し学」(12月1日からスタート)。
前編はこちらです。(全篇「いやしはあやしい?」)
中川れい子(NPO法人タッチケア支援センター代表理事)
何故「癒し学」なのか、後編『医と癒し』
”医(い)”という言葉と”癒し(いやし)”という言葉はどこか響きが似ています。「医」と「癒し」はもともとひとつだったのではないだろうか?また、日本語では「医療」を「手あて」とよぶこともあります。でも現代医療はどんどん科学的に高度化されて”癒し”が入る隙間がだんだん狭くなっている。逆に医療トラウマという言葉があるように、医療の過程でストレスやトラウマが残る場合も多いのが実情です。
ところで、個人的なことで恐縮ですが、私の夫(中川朋)のお父さんの中川米造氏は、大阪大学医学部で医学概論という講座を担当していました。私は不勉強で、夫と結婚してからはじめて、すでに他界されて10年以上が経っていた”中川米造”という研究者を知ったのですが、夫のお父さんだから・・・というのではなく(つくづく父と子は”別の人”だと思います)、義父さんでなければ、私はこの方の著書を読まなかっただろうことを思うと、めぐりあわせというものは面白いものですね。
私はもちろん医療者ではありませんから、それまでは医療の世界にはあまり近づかないようにしていました。中川米造さんの著書を読んでからぐっと近く感じるようになったのです(その後、キャロリン・ターグ先生からホスピタル・ベイスド・マッサージの世界を伝えていただいてから、今は産科等でトリートメントでかかわるようにったり、産科や緩和ケア病棟等の医療の現場での癒しとはなんだろう?ということをその後考えるようになりました)
医療の歴史を紐解いていると、西洋近代医療の歴史以前、病院というものができるはるか以前には、民間での医療の実践の歴史が古くからあり、それは薬草であったり、シャーマンの呪術であったり、あるいは出産をサポートする産婆であったり、妹(いも)の力であったり、、医療の資格”以前に、寄り添いや”癒し”の歴史があったことがわかります。
未成熟でひ弱な形で生まれてくる人類の新生児の赤ちゃんたちは、家族や部族のつながりの中であたたかく育まれて育っていった。”癒し”の元型は、そうしたお母さんや家族の腕に安心して包まれたり、さらには子宮の中での安らいだ状態が原点ではないか?そうした、記述が中川米造氏の文章にはよく出てきます。
こちらは、自伝的な著書である「学問の生命」の一節。
まさに「癒し」というタイトルの一文のある部分です。
『癒しの基本のひとつは「こわばり」「おだわり」を解いて、人間が安心できる状態に回帰させていくことである。生まれたばかりの乳児が母親に抱かれている時の、あの安心感に満ちた状態。さらに前にさかのぼれば、子宮の中にあって、生命が羊水の中に、自分ではほとんど努力せずに浮かんでいる状態。あのような状態を再現させ追体験させるのが、癒しの基本となる』
こういう文章を読むと、エサレン®ボディワークのような全身を包むようにオイルトリートメントしていくワークをしている私にとっては「ごもっとも!」と、膝を打ちたくなってくるのですが、もちろん、エサレンだけでなく、もっとシンプルなワークでも、施術だけでなく”かかわり”だけでも、こうしたことが”癒し”の基本となるのではないかと思います。
こんなシンプルなことを求めて、人は、あれほどの渇望感をかかえて”癒し”をもとめて旅をするのか??と思うと、途方に暮れる思いですが、、、しかし、ここにある「こわばり」「こだわり」を解く、「安心感」・・・というのが、それほど容易なことではないということは、これまで”癒し”にかかわってこられた方々は、きっと共感してくださるのではないかと思います。
だから、ここはやはりもっと繊細に見ていく必要があるわけですね。それが、ARTの側面なのですが。宿題をいただいたということで、ここからは私達の世代が受け継いでいくことではないかと。それが「癒し学」ことはじめなのです。
他にも、著書のタイトルには、
『<癒し>のまなざし』
『医療のクリニック<癒しの医療>のために』
『医の知の対話ー癒しをめぐってー』
等が、ありますし、、『医療のクリニック』の中には、<癒し>学序説・・・という一文があります。
そこにはこうあります。
『この数年<癒し>という言葉にこだわっている。長い間、わたくしは医学の哲学とか社会学とか歴史などの研究を通じて医学の本質はなんであるかといったことを考え続けてきたが、どうも医学の問題を医学という枠で考えると、矛盾が次々に出て解決できないことがわかってきた。そこで枠を広げてはと感じていたところ<癒し>という言葉に気が付いた』
『<癒し>を要求するのは、忌むべき事態で、病気はその代表であるが、これに<癒し>で対応しなければならない理由を考えてみよう。それは現代医療の能力に限界や矛盾がみえてきたからである』
『<癒し>とは切られた状態を修復して、新たなつながりを確立することである。それは外界とのつながりをつけることによっても大きく助けられる。宗教など超越的絶対的な存在を信じてそれとのつながりをつけることも、また、周囲の人々とのつながりを確認することも、同じような働きをするだろう。希望・信念・愛・生きる意思・笑い・ぉ祭りなども<癒し>を助けることは経験上、あきらかである。助けながら、自らの内部に生じた不統一状態を再編成することが、<癒し>を約束するものである』
*
ここを読むと、私の中で想起されるのは大震災のあとの避難所でのことです。家を失い、取り残されたかのように体育館の中に寄せ集められ、余震におびえ未来が見えない状態ですごす日々。
中川米造氏は、どのような状況を通じて”癒し”が必要なのだろうと考えたのか?といことが、私は長い間、疑問だったのですが、自伝的な著書「学問の生命」を読んで、そうだったのかと納得しました。それは、まだ医学生で医師免許をもたない頃の敗戦直後。舞鶴港に満州や朝鮮半島からの復員船(引き揚げ船)で、今でいえばボランティア活動のような形でしょうが、医学生の研修でかかわっておられたそうです。引き上げという戦争の暴力の渦中から命からがら逃げてきながら、日本に戻ってからどこにどのようにして生きていけばいいのかわからない・・・日本の引揚者の惨状は最近ようやく資料があきらかになりつつありますが、それはもう筆舌に堪えないものであったのでしょう。その復員船での活動の中、医学とは何か?ということを深く考えられたということです。というのは戦争中は、医学の教官から「医療は兵器である」と語るのを見てきたからです。
その後、終戦後、大阪大学では戦前から「医学概論」を開講されていたフランス哲学者の澤瀉久敬先生の門戸を叩いて「医学概論」の道に入られたといいます。また、医療人類学を日本に紹介した人の一人でもいらっしゃり、70年代に「魔法医」を探せという土着のシャーマンを巡るフィールドワークをなさっています。アフリカや東南アジア、韓国のシャーマニックな治療を探求されている。いわゆる、”野の医者”の探求ですね。話はつきませんが、今日はこれぐらいで。中川米造氏については、医療人類学の後継者でらっしゃる池田光穂先生(大阪大学名誉教授)のサイトが詳しいのでこちらをどうぞ。
昨日、訪問看護にタッチケアを導入してくださっている訪問看護師さんとお話をしていて、タッチケアは科学的な背景がはっきりしているので、医療の現場で話を伝えていきやすいとありました。これは、欧米でもどんどん科学的エビデンスが出されているおかげです。もちろん、科学的な根拠だけでは語れないことも数多くありますが、医療の中に”癒し”が導入されていくには、ある程度体系だった科学的根拠と、倫理性が必要だと思います。こうしたことを交通整理していくのも、私達の世代にわたされたバトンではないかと思う次第です。
「触れるケアの癒やし学」
第一回目は中川米造氏の”癒し”に関する語録と、”癒し”の語源そのものから”癒し”を掘り下げていくことから、そして、癒しの原点といわれる、子宮の中の胎児、幼少期の抱っこや触れ合いなど、胎生学、周産期学等をベースに「皮膚に残る原初の記憶」についてお話したいと思います。
「みんなのセルフタッチング」
癒しの原点は癒しの主体である”わたし”に触れることから。
12月14日、日貿出版社より。
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フジムラ ヨシヒロ、白井 康子、他15人