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2021年03月11日

日々・雑感

東日本大震災10年目の祈り・タッチケアの原点

10年目を迎えますタッチケア支援センター、
2021年より新しいblogがスタートしました。
2011~2020年の間の旧blogはこちらをご覧ください。

 

今日、東日本大震災から10年目を迎えました。
あらためて、震災で尊い命を奪われた皆様。
そして、被災されたすべての皆様に、
心から、お見舞い申し上げます。

あの時は、ちょうどタッチケア支援センターの設立の
県からの申請認可を待っている最中でした。
(2月に申請し、5月の認可を待っていました)

かつて、阪神淡路大震災を体験した私は、
東北で起きた揺れが関西にまで響いてきたことに
これは、ただごとではないことを感じました。
あのようなことが二度と起こってほしくないと
祈りつづけてきた、その祈りも大地の揺れと津波という
自然災害の前ではあまりにも無力でした。

それでも、ただ祈りつづけました。
少しでも、被害が小さくなりますように。
被災された方々が迅速に支援されますように。
災害で命を失われた方達の御霊が救われますように。
愛する人々を失ったご遺族の方達に癒しの光が届きますように。
過酷な避難生活を送る方々の環境が少しでも改善されますように。
そして、福島原発事故が最悪の状況へと至らないように
祈り続けました。

震災の11日から10日たった3月21日。
テレビで、被災した子供さん達の心のケアに
臨床心理士さんが、被災地の親御さんたちに
子どもたちに触れてあげてください。
抱きしめてあげてくださいと、
語っておられたのを見て、
そうだ、、、と、思いました。

タッチケア支援センター設立以前から
ふれることの講座を長年開いてきたので
安全に、人にふれていくことの方法や
ふれあうことがどのように効果があるのか等は
ノウハウはある程度、蓄積されていました。

何か、小冊子をつくって、
被災地に届けられないだろうか?

すでに、その年の9月に予定していた
第一回 関西タッチケア・フォーラムに
桜美林大学教授の山口創先生をお招きする予定で
メールでコンタクトをさせていただいていたのですが、

私達のテキストには、いくつか山口先生のご本から
引用したものもあったので、
小冊子にも、引用してもよろしいかと
伺ったところ、山口創先生のほうから
じゃあ、私が直接書きましょうと。。。
おっしゃってくださったのです。
(まだ、お会いしたこともないのに!)

NPO法人設立の時に、いろいろと
ご相談にのってくださった宝塚のNPO法人
関西アロマセラピスト・フォーラムの
副理事長の宮里文子さんも、
神戸の被災経験がおありで、
避難所から仮設住宅を体験されています。
神戸から、東北の被災地への思いを
共有することができました。

関西アロマセラピストフォーラムさんからも
ご支援をいただいて、ベビーマッサージのページは、
当時、理事だったはやしひろこさんが作成してくださいました。

タッチケア支援センターの設立メンバーも
様々な協力をしてくれて、キッズのための
タッチケアも、書いてくれました。

こうして、たった2か月の間で、様々な
ご支援もいただいて、出来上がったのが
小冊子「こころにやさしいタッチケア」です。

(現在はPDFで無料公開しています)

皆さんの、ご協力で、急いで作成しました。
手に取るだけで、少しでも心が安らぐように
デザインも優しく可愛い感じで作っていただきました。

やさしくふれるためのポイントは、
私の恩師の一人である、ブリータ・オストロム先生
すべて英語に訳したものを、チェックしていただきました。
これは、現在の、私達のタッチケアの礎となっています。

一般の方には1冊500円のご寄付をいただき、
様々なご協力をえて、東北には5000冊近く
無料配布することができました。

そして、5月の連休には、
はじめて、東北の被災地で活動することができました。
最初の活動は、岩手県の大槌町でした。

まだ、瓦礫は撤去されておらず、
津波の爪痕は、あまりにも無残でした。
ところどころ、赤い旗がたてられていて
ご遺体が見つかった場所をあらわす旗でした。

瓦礫の風景には阪神淡路大震災で見慣れていた私にとっても
胸がつまる光景でした。
でも、おそらく1か月前は、もっと悲惨な状況で、
車が行く、道すらもなかったのでしょう。

避難所は、阪神淡路大震災のころと、ほとんど進化しておらず、
プライバシーの守られない空間でしたが、ゆっくりと丁寧に
アロマをなさってる方達と、ご一緒に、避難所を巡りました。
何をやっているのかが、皆さんにわかるように、
胸にゼッケンをつけて、ハンドマッサージと書いて
行動しました。

何ができるのか。。。ひとつひとつが、手探りでしたが、
今から思い返すと、あの頃の、東北での活動が、
私達の、タッチケアの形を、育んでいったのだと思います。

(その後、私達のタッチケアの名前も、
「こころにやさしいタッチケア」と名付けて行動するようにしました)

私にとっては、被災者の皆様の手にふれて、
共にいる時間だけでも、尊いものでした。

うとうとと、ほっとくつろいでくださる方がほとんですが、
心がゆるみ、被災体験を語りはじめる方も大勢おられました。
ご家族を失ったお話を伺うときは、触れる手を通じて、
涙がからだに、伝わってくるようでした。

私達の掌は、被災された方々の心から零れおちる
涙を掬うお匙のようでした。

タッチケアに伴うナラティブと傾聴。
そして、ただ、今・ここに共に在ることの尊さを
あらためて知ったのも、東北の被災地でした。

その後も、何度か、東北の被災地を訪れて
タッチケアの活動をさせていただくことができました。
(尼崎市のNPO法人シンフォニーさんが、バスをチャーターしてくれたり、関東のNPO法人国際ヒーリング看護協会さんが、招いてくださったりしました)

何かをさせていただききにくというよりも、
文字通り、触れて、出会い、つながっていくことが
私たちの、ボランティア活動でした。

ありがたいことに、
阪神淡路大震災の時には、ほとんど見かけなかったのですが、
東日本大震災の時は、多くの、施術系のボランティアの方が訪れて、
私達以外にも、足湯やマッサージ、施術等、
災害支援で、はじめて「癒し」が本格的に取り入れていかれたのを
垣間見ることが、できました。

この10年間。
タッチケアだけではなく、多くの、セラピーや癒しが
成長していったと思います。
育ててくださったのは、東北の被災者の方たちです。

最後に訪れた、福島県いわき市での活動では、
施術だけではなく、講座も開かせていただきました。

地元の方が、自分の周囲で苦しむ方達をささえたいと
ハンドマッサージを学んでくださったのです。

何ができるか、わからないけど。
小さなことでいいので、出来ることをやりたい。

ささえあい、よりそいあい
手と手をつなげていくこと。
そして、受け取って伝えていく循環。

そのことを、教えてもらったのも、
東日本大震災の被災者の皆様からでした。

タッチケア支援センターは、
東日本大震災によって大切なことを気づかせていただき
成長してきたことを振り返ります。

関西から遠く離れていたので、
持続してかかわることができなくて
とても、残念でしたが、
阪神間と、東北の2つの被災地は
永遠に、私達の礎で、つねに
かえっていく大切な原点です。

また、福島の放射能の問題から
関西地域に避難されてこられた
ご家族の会でのタッチケア活動も
放射能問題の深刻さを、皆様との交流で
実感することができました。

震災から10年。
まだまだ、震災の傷跡は大きく
いまだ癒えない心の傷とともに
今を生きておられると思います。

それでも、その痛みの中に
目に見える
目に見えないかたちで

おおくの生命が宿り
新しい種子が蒔かれ
そして、発芽し、
次へと手渡されていっていると想像しています。
遠くからでは見えない、ほんとうに
活き活きとした何かが。。。

その種子のかけらも、
私たちも受け取り、
大切に育んでいきたいと思います。

回復と復興の道のりのなか
おひとりおひとりの
尊い存在に、心からの祈りをこめて。

2021年 3月11日
中川れい子(NPO法人タッチケア支援センター代表理事)

 

 

 

≪小冊子 こころにやさしいタッチケア あとがきより≫

神戸の被災地から、
東北の被災地へ手渡したい、
タッチという “やさしさの贈り物 ”
 避難所は数か月、仮設住宅は数年。復興への道のりは長く忍耐が必要です。阪神淡路大震災のとき、雨風防げる家屋と物資や食料があっても、孤独が原因で命を失う方達が大勢おられたことは、あの頃の痛ましい記憶の一つです。
 もちろん、やさしくふれたからといって目の前の現実がすぐに変わるわけではありません。でも、ほんの一瞬でもくつろぎ、ほっと心地よい感覚が蘇るのなら、そこに “ 希望 ” という種子が蒔かれ、新しい感覚が育まれていきます。その感覚は私達を自分自身へとつなげ、人と人をつなげます。ここに在ること、一人じゃないこと、つながっていること。未来はそこから生み出されていくと思うのです。
 ふれあい、手をとりあい、孤独を癒しながら、この長い道のりを共に生きていく知恵を、いにしえの人々から受け継ぐ時が訪れたことを、2011年の今、あらためて思います。この小冊子を通じて、タッチというやさしさの贈物を神戸の被災地から東北の被災地に手渡し、御一人御一人の内側に宿る希望という種子を育んでいただけるのなら、これほど嬉しいことはありません。(タッチケア支援センター代表理事 中川れい子 2011年5月)

≪東北被災地での活動記録写真≫

 

 

宮城県七ヶ浜町の仮設住宅で

宮城県気仙沼市の仮設住宅で

宮城県七ヶ浜町の仮設住宅で

 

福島県いわき市の公民館で タッチケアとセルフタッチング講座

 

岩手県大槌町仮設住宅で

岩手県大槌町 ボランティアセンターで

宮城県気仙沼市 仮設住宅で